ヒロシマ・ナガサキに思うこと雑感もろもろ|07/08/08 今から62年前の1945年8月6日8:15にヒロシマへ、8月9日11:02にナガサキへ原子力爆弾が投下されました。 先般の参議院議員選挙公示前に久間前防衛大臣が原爆投下を肯定するかのような発言をして問題となり辞任したことは記憶に新しいところです(その発言内容は最後の部分に参考までに掲載しておきます)。
日本との戦争を終わらせるために原爆を利用した、ソ連の日本占領を防いだ、、、という論調は勝者の論理で私には理解することができません。一般市民を数多く巻き込む大量破壊兵器による攻撃は戦争と言えども許されるものではありません。 現在の日本はアメリカの核の傘のもと多くの安全保障を享受していることも事実でしょう。しかし、あるべきは核に頼らない安全保障のあり方だと望みます。その明確な姿や方法論を残念ながら私も未だ持ちえていませんが、原爆をはじめとする大量破壊兵器を一般市民が暮らす都市部へ用いるというのは、いかなる理由があれHuman-being(人間)として許してはならない行為と考えなくてはいけません。 私たち日本は「唯一」の被爆国として、世界中で「最後」の被爆国にするための努力を地道に取り組んでいく責務があると思います。
ソ連が参戦したら、ドイツを占領してベルリンで割ったみたいになりかねないというようなことから、(米国は)日本が負けると分かっていながら敢えて原子爆弾を広島と長崎に落とした。長崎に落とすことによって、本当だったら日本もただちに降参するだろうと、そうしたらソ連の参戦を止めることが出来るというふうにやったんだが、8月9日に長崎に原子爆弾が落とされ、9日にソ連が満州国に侵略を始める。幸いに北海道は占領されずに済んだが、間違うと北海道はソ連に取られてしまう。 本当に原爆が落とされた長崎は、本当に無傷の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなという風に思っているところだ。米国を恨むつもりはない。勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという、そういう思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけないと思った。 |

